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[再掲]『日刊アメーバニュース』に「夏目漱石の名言10『ありがたいなどは通過して恐ろしい位だ』」という記事があったが・・・、「警察官は人間失格である!」に勝る漱石の名言はない。 [警察官は人間失格である]

「警察官は人間失格である」という言葉を、

ただの悪口と、思い込んでいる方のために、

本ブログの「「日刊アメーバニュース」に『夏目漱石の名言10「ありがたいなどは通過して恐ろしい位だ」』という記事があったが・・・、『警察官は人間失格である!』に勝る漱石の名言はない。」という記事を再掲します。

本ブログでは、他の箇所でも詳しく説明していますので、他の箇所も参照ください。

ついでに「SOS団を作ってはどうだろうか? SOS団とは、S(漱石を)、O(大いに)、S(尊敬する[猫党の])団の略。」も再掲します。

以下は、本ブログの「「日刊アメーバニュース」に『夏目漱石の名言10「ありがたいなどは通過して恐ろしい位だ」』という記事があったが・・・、『警察官は人間失格である!』に勝る漱石の名言はない。」という記事。

2014年12月27日の『日刊アメーバニュース』に「夏目漱石の名言10『ありがたいなどは通過して恐ろしい位だ』」という記事があった。

夏目漱石の名言は他にも沢山ある。

なかでも、

「警察官は人間失格である!」に勝る名言はない。

なぜか、この名言は、無視されている。


漱石は「文芸の哲学的基礎」http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/755_14963.html という講演(明治四十年四月、東京美術学校での講演)で、

探偵」という「職業をして居るうちは人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります」と述べている。

「職業をして居るうちは人間の資格はない」という部分に着目すると、

「職業をして居るうち」というのは、「探偵」という「職業をして居るうち」という意味であるから、

簡潔に言えば「探偵」ということになるだろう。

そして、

「人間の資格はない」という言葉を簡潔にいえば、

「人間失格」となる。

さらに、

漱石は「探偵」について、

「重宝だから、警視庁でもたくさん使って、給料を出して飼っておきます」と述べており、

漱石が言う「探偵」が、「警察官」のことを指しているということはすぐにわかる。

つまり、

「文芸の哲学的基礎」という講演での漱石の発言を要約すれば、

夏目漱石001.png


ということになるのである。


以下、「文芸の哲学的基礎」

「諸君は探偵というものを見て、齢するに足る人間とは思わんでしょう。 ――中略―― まず彼らの職業の本分をいうと、もっとも下劣な意味において真を探ると申しても差支えないでしょう。それで彼らの職務にかかったありさまを見ると一人前の人間じゃありません。道徳もなければ美感もない。荘厳の理想などはもとよりない。いかなる、うつくしいものを見ても、いかなる善に対しても、またいかなる崇高な場合に際してもいっこう感ずることができない。できれば探偵なんかする気になれるものではありません。探偵ができるのは人間の理想の四分の三が全く欠乏して、残る四分の一のもっとも低度なものがむやみに働くからであります。かかる人間は人間としてはむろん通用しない。人間でない機械としてなら、ある場合にあっては重宝でしょう。重宝だから、警視庁でもたくさん使って、給料を出して飼っておきます。しかし彼らの職業はもともと機械の代りをするのだから、本人どももそのつもりで、職業をして居るうちは人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります。」(「文芸の哲学的基礎」『日本の名著 42』中央公論社、105-106頁。)

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以下は、本ブログ「SOS団を作ってはどうだろうか? SOS団とは、S(漱石を)、O(大いに)、S(尊敬する[猫党の])団の略。」という記事。 


SOS団を作ってはどうだろうか? SOS団とは、S(漱石を)、O(大いに)、S(尊敬する[猫党の])団の略。 [ジョーク] [編集]


 『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメ(マンガ、小説)にはSOS団というのが登場する。

 SOS団というのは、S(世界を)、O(大いに盛り上げる為の)、S(涼宮ハルヒの)、団、の略である。

 これに倣って、

  夏目漱石001.png

と述べた、漱石を、大いに、尊敬する、(猫党の)団

つまり、S(漱石を)、O(大いに)、S(尊敬する[猫党の])団を作ってはどうだろうか?





[再掲]警察官は、幼稚園未満の人間である―『ひとつ屋根の下』第1話「苦い再会」でのあんちゃんの興味深いセリフ [ドラマ・映画ほか]

 1993年4月12日に放映された『ひとつ屋根の下』第1話「苦い再会」の12分前後に、俳優の江口洋介が演じる「あんちゃん」こと柏木達也の興味深いセリフがある。婚約者と婚約者の両親を前にしてのあんちゃんの発言である。

あんちゃん:「おとうさん、おかあさん。僕は、僕は何の取り柄もありません。学歴も、貯金担保も、たかが知れています。いや、その、ようするに、幼稚園なんです」
婚約者の父:「幼稚園?」
あんちゃん:「はい。幼稚園で習ったことだけを、ずっと守ろうと思って生きてきました。その、なんていうんですか、人を傷つけてはいけません。人の物を盗ってはいけません。女の子に暴力を振るってはいけません。物を大切にしましょう。思いやりを持ちましょう。外から帰ったらうがいをして、食べたら手を洗う。なんていうんですかね、あの、うまく言えないんですけども」
婚約者の父:「うん、うん、うん、うん、わかるよ」
婚約者の母:「いいことだわ」
婚約者の父:「そうか、うん、幼稚園で学んだことが全てか」
あんちゃん:「お嬢様を、必ず幸せにします」

というセリフだ。
 あんちゃんが幼稚園で学んだことと主張することのうち、「外から帰ったらうがいをして、食べたら手を洗う」というのは公衆衛生の基本で、①「人を傷つけてはいけません」、②「人の物を盗ってはいけません」、③「女の子に暴力を振るってはいけません」、④「物を大切にしましょう」、⑤「思いやりを持ちましょう」の五つは、人間が守るべき基本的な倫理規定のことである。
 ①「人を傷つけてはいけません」、②「人の物を盗ってはいけません」、③「女の子に暴力を振るってはいけません」は、思いやりを持っていなければできないことであり、④「物を大切にしましょう」を物に対する思いやりと考えれば、幼稚園で習う人間が守るべき基本的な倫理規定は、⑤「思いやりを持ちましょう」に一括できる。
 この幼稚園で習う「思いやりを持ちましょう」という人間が守るべき基本的な倫理規定を、警察官は守れないのだ。
 奇異に聞こえるかもしれないが、不祥事をおこした警察官ばかりでなく、上司の命令一下躊躇なく行動できる警察官全てが「幼稚園」で学んだことを省みることができないのである。
 警察官の仕事は、容疑者の逮捕、証拠品の押収、所持品検査(身体検査も含)、容疑者の同意のない写真撮影、張込みや物陰に隠れての取り締まりなどである。
 もし、警察官が職務の際に「人を傷つけない」「女の子に暴力を振るわない」「人の物を盗らない」「物を大切にする」「思いやりを持つ」などと主張したらどうなるだろうか。
 逮捕の際に「人を傷つけない」といって容疑者を制圧しない。「人の物を盗らない」といって証拠品を押収しない。浅間山荘事件など立てこもり事件での突入の際に「物を大切にする」といって扉を破壊しない。覗かれるのは嫌だろうからと「思いやりを持つ」といって張込みはしない。などと警察官が主張したりしたら、警察官の仕事は、まったく成り立たなくなってしまう。
 道徳はとりあえず横において、警察官たちは、上司の命令一下、一糸乱れず行動しなければ、仕事にならないのである。
 特に市民相手の警備活動では、「人を傷つけない」「女の子に暴力を振るわない」「思いやりを持つ」などといっていては、まったく仕事にならない。警備実施の際に「思いやり」などあってはならないのだ。警察官の仕事は「思いやり」を持っていては仕事にならないという特徴があるのである。

 この特徴を明示する出来事に誤認逮捕事件がある。誤認逮捕事件は、警察官の仕事、つまり警察における「職務倫理」に従った行為が、人間が守るべき基本的な倫理規定と一致しないことを明示している。
 誤認逮捕の場合、合法的な逮捕の際にはまったく問題にならない通常業務としての警察官の行為が、ことごとく、違法な行為になってしまうのである。このことは、警察官が職務以外で、警察官の仕事と同様の行為をすれば、違法な行為になるということを示している。つまり、警察官が日常業務として行なっている行為は、TPO(時・場所・場合)によって、犯罪行為になるのである。

 警察官の仕事は、人間が守るべき基本的な倫理規定と一致しないばかりか、その行動のみに着目すると、犯罪行為と変わりないのだ。

 2000年4月24日の「荻野教授誤認逮捕事件」は、警察官の仕事が、その行動のみに着目すると、犯罪行為と変わりないということを示す好事例である。
 「荻野教授誤認逮捕事件」というのは、2000年4月20日に発生した横浜市保土ヶ谷区のクリーニング店従業員の長男が下校途中に誘拐された事件の捜査の際に兵庫県警が起こした誤認逮捕事件のことである。
 2000年4月24日、兵庫県警察本部刑事部機動捜査隊の警察官と西宮警察署の警察官は、事件とまったく無関係の関西学院大学の荻野教授を誤って逮捕するというとんでもない間違いを犯したのである。
 この兵庫県警による誤認逮捕に対する国家賠償請求訴訟では、兵庫県警の警察官たちの公権力の行使(逮捕行為、所持品検査、意思に反する連行、返答の強制、同意なき携帯電話チェック、同意なき写真撮影)の違法性の有無が争われ、荻野教授が勝訴している。
 判決では、逮捕行為→違法、所持品検査→検証にあたり違法、意思に反する連行→違法、返答の強制→違法、同意なき携帯電話のチェック→検証にあたり違法、同意なき写真撮影→違法という結果である。
 「荻野教授誤認逮捕事件」で違法な公権力の行使と認定された行為と同様の行為を一般市民がすれば犯罪行為になる。
 逮捕行為、所持品検査、意思に反する連行、返答の強制、同意なき携帯電話のチェック、同意なき写真撮影を犯罪行為と対応させてみると、逮捕は「暴行」、所持品検査は一般的に身体検査を含むことから「痴漢」、意思に反する連行は「拉致」、返答の強制は「いたずら電話などの迷惑行為」、同意なき写真撮影は「盗撮」ということになる。
 このことは、警察官が間違えた仕事をすると違法な公権力の行使になるが、警察官が仕事以外で警察官の仕事と同様の行為をすれば、一般市民と同様に犯罪行為になるということを示している。

 このほかにも警察官の仕事には、張込みがある。刑事ばかりでなく、地域課の交番勤務の警察官も自転車窃盗犯逮捕のために張り込んだりする。交通課などでは、いったん停止や速度違反検挙のために物陰に隠れて取り締まりをする。これも張込みと同様の行為である。

 誤認逮捕の事例と同様に考えれば、張り込みや取り締まりという警察官の通常業務も、まったく無関係な市民に対して行えば「覗き」ということになる。同様に考えると、証拠音声の録音は「盗聴」、尾行は「ストーカー行為」、保護は逮捕と同様に「暴行」「傷害」「殺人」「拉致」「監禁」などということになる。
 このようにTPO(時・場所・場合)によっては、張り込み(覗き)、証拠写真・動画の撮影(盗撮)、証拠音声の録音(盗聴)、尾行(ストーカー)、所持品検査(痴漢)、逮捕・保護(暴行・傷害・殺人・拉致など)などの何でもない警察官の日常業務が、犯罪行為になってしまうのである。
 まだこの他にも、警察官の仕事には、留置管理業務と呼ばれている仕事がある。留置管理業務は、留置場のトイレまで監視することから、張り込みや取り締まりより、より純粋に「覗き」に近いといえる。また、留置管理業務における留置人に対する身体検査は、所持品検査より「痴漢」に近い。
 さらに言えば、警備公安警察における警備対象者に対する情報収集、写真や動画の撮影、通信傍受、張り込み、尾行などは、警備対象者を誤認した場合は、文字通り「盗撮」「盗聴」「覗き」「ストーカー行為」である。

 恐ろしいことに、警備公安警察に警備対象者にされていることは、情報漏洩でもない限り、明らかにならない。警備公安警察における警備対象者の誤認の被害者は、誤認されていることを知ることすらできず、なす術もなく被害を受け続けることになる。

 このように、警察官が日常業務として行っている行為は、ちょっとTPOを間違えただけで、犯罪行為となり、警察官の不祥事になってしまうのである。このことは、不祥事を起こした警察官たちが、特殊な行為をしたのではなく、TPOを間違えて日常業務として行っている警察官の仕事と同様の行為をしただけであることを示している。

 警察官の仕事は、サービス的な仕事、言い換えれば、CI活動(後述)以外は、犯罪者を捕まえたり、犯罪を犯しそうな人間を見張ったりすることである。これらの警察官の仕事は、相手の意思に反することをすること、考える暇も与えない場合は、意志に反することをすることといえる。

 一般的に人間は、意思や意志に反することをされると苦痛を感じることから、警察官の仕事は人間に苦痛を与えることであると言っても過言ではないだろう。

 相手の人間が善人であれ悪人であれ、人間に苦痛を与えることは、幼稚園で「思いやりを持ちましょう」と学んで、「思いやり」を持とうと心がけて生きてきた人間には、なかなかできることではない。たとえ上司の命令でも躊躇してしまうに違いない。

 人間に倫理観や思想信条を省みることなく行動することを完全に習慣づけることができれば別だが、機械にでもならない限り、相当なトレーニングをしても、躊躇なく他人に苦痛を与えることができるようにはなれないだろう。
 もし、なんの躊躇もなく警察官の仕事ができている人間がいるのだとすれば、その人間は「思いやり」を持つことができないという点で、幼稚園で学んだ道徳的な基礎を持たない幼稚園未満の人間というよりない。

※漱石が批判した探偵化(警察化)は、警察教養によって警察官に注入された職務倫理が、警察官を模倣中心とした社会教化運動によって、社会の倫理になることを批判したと考えればよいだろう。ここでいう「教養」や「教化」は、現在、北朝鮮や中国で使われている意味での「教養」や「教化」である。

※ちょっと考えればだれでもわかることだが、ブラック企業の企業倫理は警察の職務倫理と同じだ。ブラック企業は警察のマネをしていると考えればよいだろう。そう考えると、漱石はブラック企業の誕生も予言していたということになるだろう。

※漱石的に言えば、道義的同情が道徳の根拠で、警察の職務倫理は、道徳とは無縁だということだ。

※昨今、道義国家などというヒトがいるが、あれは忠恕の「忠」に基礎をおいた犬党の暗示のためのスローガンである。国家や政党などに忠なヒトをつくろうとしてスローガンを鼓吹しているヒトは、ミンナ犬党だ。猫党の道徳の基礎が何かは、既にこのブログで『吾輩は猫である』を引用して書いた(「『公徳』― 穂積陳重の『公徳教育に就て』、松井茂の『広義の警察教育』http://nekotou-senngenn.blog.so-net.ne.jp/2014-04-30-3)。


※「道義的同情を欠いた人間」については、「漱石の文明批判と未来予測 ―『二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる』(探偵化論)」http://nekotou-senngenn.blog.so-net.ne.jp/2014-04-28-1 を参照ください。


【猫党に興味を持たれた方は、本ブログの左側のサイドバーにある「マイカテゴリー」中の「第一章 漱石は志士の如く」から順に本ブログをお読みください。】




「防火、防犯、防警官」?? 「地震安倍ちゃん火事巡査」?? [国民教養(=警察教養)の時代が到来!]

2017年6月19日の『財経新聞』に「明治大学史資料センター公開講演会『雑誌道楽 山崎今朝弥』7月5日(水) 駿河台キャンパスで開催」という記事があった。

その記事に
彼はユニークな文章(著書『地震憲兵家事巡査』、『弁護士大安売』等)を執筆
と書いてあった。

このブログで「山崎今朝弥『地震憲兵火事巡査』(解放社、1924年)を思い出した。」と書いていたのを思い出した。

そこで、

「『「愛の告白」動画中国で波紋呼ぶ』?? 『防火、防犯、防教官』⇒ 『防火、防犯、防警官』?? 『地震憲兵火事巡査』⇒『地震安倍ちゃん火事巡査』!!」を再掲することにした。


以下、「『「愛の告白」動画、中国で波紋呼ぶ』?? 『防火、防犯、防教官』⇒ 『防火、防犯、防警官』?? 『地震憲兵火事巡査』⇒『地震安倍ちゃん火事巡査』!!」を再掲。

TBSのサイトに「『愛の告白』動画、中国で波紋呼ぶ」という記事があった。

河南省にある専門学校に軍事教練の教官として派遣された中国人民解放軍の男性教官が、

「生徒たちが見守る中、女子学生に愛を告げ、キスをした」のだそうだ。

「その様子は瞬く間にネット上に広がり」、

中国人民解放軍にばれてしまって、「教官にあるまじき行為だ」と問題になったという話だ。

軍事教練の期間は、3、4週間ほどということらしいから、

日本の警察官なみの、性欲の炎上の速さだ。

どこの犬党員も、野犬並だ。

どうということのない記事なのだが、

「中には『防火、防犯、防教官』など冷やかしのコメントが寄せられました。」という部分が、非常にいい。

さすが、漢字の故郷の国だ。

「防火、防犯、防教官」

簡潔で、いい表現だ。

何を意図して書いたかはわからないが、単なるユーモアだけでなく中国人民解放軍への批判となっている。

これをそのままパクって、

「防火、防犯、防警官」を

日本警察による犯罪の被害者にならないための市民の心掛けを表す標語にすればいいだろう。

「防火、防犯、防教官」という標語で、

山崎今朝弥『地震憲兵火事巡査』(解放社、1924年)を思い出した。

インパクトのある題名なので、パッと思い出せたのだが・・・

内容を失念してしまった。

「地震雷火事親父」をもじって「地震憲兵火事巡査」と言い換え、

当時の怖いものを並べた題名の本を、戦前に出版したというのが面白くて、読んだはずなのだが・・・

山崎今朝弥にならって、現在の怖いモノを表現すると、

「地震安倍ちゃん火事巡査」といったところだろうか。

「地震犬党火事巡査」でもいけそうだ。

山崎今朝弥が「地震憲兵火事巡査」というずっと前に、

夏目漱石001.png


といった漱石は、やっぱり偉大だ。