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犬党にして器械的+探偵主義 ブログトップ
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漱石の「猫党にして滑稽的+豆腐屋主義」という表現に倣えば、漱石の敵は、「犬党にして器械的+探偵主義」となる。 [犬党にして器械的+探偵主義]

 漱石は虚子宛の書簡で「僕は十年計画で敵を斃すつもりだったが近来是程短気なことはないと思つて百年計画にあらためました。百年計画なら大丈夫誰が出て来ても負けません。」(明治三十九年十一月十一日付虚子宛書簡)と書いている。文学上の敵とも考えられるが、漱石は「維新の志士の如き烈しい精神」で文学に取り組んでいたことから、漱石が思い描いている敵は、もっと大きなものと考えられる。いったい何を想定して敵と呼んだのだろうか。
 推理の定石としては、漱石と「水と油」、漱石と「犬猿の仲」の人物や組織などを探れば良いということになりそうだ。また、英文学者であった漱石の経歴から判断すると、もし漱石が何かメッセージを残すとすれば簡単な英語を絡めて暗号を残すと考えるのが普通だろう。
 そうすると、まず「水と油」(oil and water)が頭に浮かぶ。だが、「水と油」は既に『文学論』(大倉書店、一九〇七年)の「序」で「倫敦の人口は五百万と聞く。五百万粒の油のなかに、一滴の水となつて辛うじて、露命を繋げるは余が当時の状態なり」と、イギリス留学時の漱石とイギリス社会の関係を表す比喩として使われているので「水と油」はなさそうだ。
 そうすると「犬猿の仲」の可能性が高そうである。当初『吾輩は猫である』の題名が『猫伝』であったことから推理すると、「猫」が何かを象徴しているということになるだろう。日本語で考えれば、「猫」に対しては「小判」、「猫」の敵といえば「鼠」(正確にいえば鼠の天敵が猫)ということになってしまうが、英語で「犬猿の仲」を考えると、「犬猿の仲」はcat and dogとなるのである。探偵小説ではありえないほど簡単に、「猫」の敵は「犬」と推理できる。
 そして「犬」をキーワードに漱石の書簡集を読んでいくと、漱石が明治三十九年六月七日付鈴木三重吉宛書簡の「今の世に神經衰弱に罹らぬ奴は金持ちの魯鈍ものか、無教育の無良心の徒か左らずば、二十世紀の輕薄に滿足するひやうろく玉に候。もし死ぬならば神經衰弱で死んだら名譽だらうと思ふ。時があつたら神經衰弱論を草して天下の犬どもに犬である事を自覺させてやりたいと思ふ。」という文章に突き当たる。漱石は「天下の犬どもに犬である事を自覺させてやりたい」とはっきり書いているのである。漱石の敵は「犬」だったのである。では、漱石はなにを「犬」と呼んだのであろうか。
 さらに「犬」をキーワードに漱石の作品群を読むと、すぐに「犬」が何を象徴しているかわかる。明治三十八年十一月から明治三十九年夏頃の「断片」に「現今の文明は天下の大衆を駆って悉く探偵的自覚心を鋭敏ならしむる世なり。思ふに自覚心の鋭きものは安心なし。起きて居るうちは無論の事寝て居る間も飯を食ふ間も落ちつく事なし。此故に探偵を犬と云ふ」とある。漱石は、「探偵」を「犬」と呼んでいるのである。
 まだほかにも、漱石の敵を推理するうえで気になる言葉がある。漱石は森田草平宛の書簡で自身を「猫党にして滑稽的+豆腐屋主義」(明治三十九年十月二十一日付森田米松[森田草平]宛書簡)と、呼んでいるのだ。漱石自身が「猫党」ということであるから、これに対する党派が漱石の敵ということになる。
 この言葉にならってこれまでの推理結果を表現すると、漱石の敵が「犬」で、漱石が「探偵」を「犬」と呼んでいることから、「猫党」に対しては「犬党」、「豆腐屋主義」に対しては「探偵主義」となり、「犬党にして○○的+探偵主義」となる。
 では「豆腐屋主義」とは何なのだろうか。
 「豆腐屋」という語について調べてみると、『二百十日』『私の個人主義』『文芸の哲学的基礎』『硝子戸の中』などに「豆腐屋」という語が登場する。なかでも『私の個人主義』で漱石は「国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。常住坐臥国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、けっして国家のために売って歩くのではない。」(『私の個人主義』―大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述―)と、「国家主義」を批判する際に「豆腐屋」を例示して批判しているのである。漱石は、漱石が考える「個人主義」を「豆腐屋主義」と呼び、「国家主義」を批判したと思われる。この類比から、漱石が批判した「国家主義」は「探偵主義」ということになる。
 「猫」と「豆腐屋」に対応する語は、「犬」と「探偵」とすぐわかるが、「滑稽的」に対する語は少々難問である。漱石は『吾輩は猫である』で探偵的になる二〇世紀の人間の特徴を「人間の行為言動が人工的にコセつく」などと述べていることから「人工的」と推理できる。だが『文芸の哲学的基礎』では「探偵」を「器械」と呼んでいることから「器械的」とも推理できる。「人工的」でも「器械的」でもどちらでもよさそうなものであるが、「滑稽」の語源について調べてみると、「器械的」の方が相応しいことがわかる。
 滑稽の語源は『史記』の用法からきていて、「滑」は「なめらか」、「稽」は「考える」という意味がある。つまり、「滑稽」は「なめらか」に「考える」という意味になる。そう考えると、「考えることもなく」(「考える」の反対)ただ「カタカタ」(「なめらか」の反対)と動く「器械」の方が「人工」より「滑稽」に対する語としてふさわしいといえる。
 漱石の「猫党にして滑稽的+豆腐屋主義」という表現に倣えば、漱石の敵は、「犬党にして器械的+探偵主義」となる。


世界の彼方此方で「ニャー」と叫ぶ。 [犬党にして器械的+探偵主義]

 最近、犬党が集団的自慰権、集団的自慰権とワンワンキャンキャン五月蝿い。

 水でも引っかければ、キャインというだろうか。

 どうやら、犬党の仮想敵国というのは、中国のようだ。

 本気で中国と戦うとなると、核兵器も必要(ただし、使うと季節風で放射能が日本に飛んでくる)だし、兵員も中国に匹敵する数が必要(徴兵制)になるだろう。

 当然、ロシアやインドが中国と手を組まないということが前提になるだろうが、アメリカが自国の利益のために南シナ海・東シナ海・日本海の中国の地中海化を容認しないとも限らない。

 そうなると、お手上げだ。

 日本(倭)自治区の誕生だ。

 なんとも、不安なお話しだ。

 犬党のヒトも、どこまで本気で日本(自分)のために他国が戦ってくれるか、不安でしょうがないから、

「みんながやられたら、僕は、助けに行くからね」みたいなことを、ダレも聞いていないのに、尻尾フリフリ、ワンワンキャンキャン言ってしまうのだろう。

 集団的云々とは別に、アメリカに対する不信感から、自国の武力行使を容易にさせているようにもみえる。

 アメリカの本意を試すつもりで、武力行使してみたい。

 彼/彼女の気持ちを確かめてみたい的な、武力行使をしそうで、怖い。

 「犬党は気持ち悪い生き物だよ」と誰か言ってくれるだろうか。

 「みんながやられたら、僕は、助けに行くからね」と言っている間は、まだ実害は、そうないかもしれないが、

 犬党にありがちな勘違いで、

 「俺が行ったら、お前らも来いよ」と言い出すと、本当にヤバイだろう。

 そうならないことを祈りたい。

 結局、近代国家は犬党が幅を利かせる世の中なのだから、犬党的に犬党と争って、自国を犬党だらけにしたのでは、敵に支配して戴くための環境整備をしているようなものだ(お互い様なのだが・・・)。

 敗戦後の日本がアメリカの支配に従順だったのも、日本が犬党だらけだったからに違いない。

 どっちが勝っても犬党の支配を受けるのだから、先の大戦で投げやりな作戦が横行したのも無理もない話しである。

 犬党的愛国心というメガネを外して、冷静になってみれば、自殺行為の連続だ。

 過労死や過労自殺をみるようで、悲しい。

 先の大戦も、防衛のための戦争だったと聞くが、どこまで本気で勝つ気だったのか・・・

 疑問だ。

 防衛できないのなら、戦う意味がない。

 防衛・・・、

 外国に侵略させないというのは、容易に統治されない人間の数にかかっているように思われる。

 侵略されても容易に統治されない人間をどれだけ増やせるかは、どんな武力より尊い強い力である。

 それが、猫党の力だ。

 もし、集団的自慰でない集団的自衛というのがあるのだとすれば、地球上どこででも、猫党が「ニャー」と主張できる権利を多国間で保障することだろう。

 どれだけ自国に猫党を増やせるかが、他国から侵略されない国(地域?)造りの第一歩である。


「日本精神!」を鼓吹する武藤貴也氏のために・・・、「『警察魂!』 警察魂(警察精神)はそれ病気の類か。初めてわかった漱石の『大和魂!』という文章の強烈さ。」を再掲します。 [犬党にして器械的+探偵主義]

自民党の武藤貴也衆院議員が、「自身の公式ブログで、日本国憲法の三大原則である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が『滅私奉公という日本精神を破壊する』と主張し、中でも『主犯』は基本的人権の尊重だと強調している。 」(「【学生デモ批判】どこが『利己的』なのか」『高知新聞』2015年8月7日)らしい。

さすが犬党のヒトだ。

「日本精神」とは何か知っているのだろうか?

『松井茂自伝』や『警察協会雑誌』を読めば、警察精神(=警察[官]魂)=日本精神(=大和魂)、

国民皆警察化=警察精神作興運動=日本精神作興運動ということが分かるはずです。

日本精神(=大和魂)も、模倣の法則を応用した暗示に使うスローガンの一つにすぎません。

ま、犬党のヒトには、何言っても無駄か・・・

「日本精神!」と叫んで肺病やみのような咳をする不憫な武藤貴也氏のために

「『警察魂!』 警察魂(警察精神)はそれ病気の類か。初めてわかった漱石の『大和魂!』という文章の強烈さ。」を再掲します。

 漱石が『吾輩は猫である』(第六話)で書いている「大和魂!」(苦沙弥先生の手製の名文)という文章に倣って『警察魂!』という文章を書いてみた。


警察魂! と叫んで警察官が肺病やみのような咳をした

警察魂! と新聞屋が云う。警察魂! とニュースが云う。警察魂が一躍して電波に乗った。総理大臣が警察魂の演説をする。テレビや映画で警察魂の芝居をする。

警視総監が警察魂を持っている。こち亀の両津さんも警察魂を持っている。盗撮犯、痴漢、ストーカー殺人犯の警察官も警察魂を持っている。

三角なものが警察魂か、四角なものが警察魂か。警察魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている。

誰も口にせぬ警察官はないが、ダレも見たものはない。ダレも聞いた事はあるが、ダレも遇った者がない。警察魂はそれ病気の類か。


※『警察魂!』という文章を書いてみたが、なんだか恐ろしい内容になってしまった。「大和魂」を「警察魂」に変えてみて初めて、漱石の『大和魂!』という文章の強烈さが、わかった気がした。


※警察魂=警察精神。『松井茂自伝』や『警察協会雑誌』を読めば、警察精神(=警察[官]魂)=日本精神(=大和魂)、国民皆警察化=警察精神作興運動=日本精神作興運動ということが分かるはずです。日本精神(=大和魂)も、模倣の法則を応用した暗示に使うスローガンの一つにすぎません。


以下は、本ブログ「7.『大和魂はそれ天狗の類か』―『公徳』『警察精神』という暗示 [第五章 成就する漱石の未来予測]」http://nekotou-senngenn.blog.so-net.ne.jp/2014-05-03-6 の『吾輩は猫である』(第六話)の苦沙弥先生の手製の名文「大和魂!」を引用した箇所。

漱石は『吾輩は猫である』(第六話)に「大和魂!」(苦沙弥先生の手製の名文)という文章を書いている。

「大和魂! と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした」

「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする」

「東郷大将が大和魂を有っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐偽師、山師、人殺しも大和魂を有っている」

「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」

「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」

というものだ。

 この文中に「大和魂! と掏摸が云う。」とあるが、「掏摸」(スリ)とは警察官のことである。

漱石は『吾輩は猫である』で「探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族」「刑事巡査を神のごとく敬い、また今日は探偵をスリ泥棒に比し、まるで矛盾の変怪だ」と書き、

『草枕』でも「掏摸の親分たる探偵」と書いている。

漱石は「掏摸」という語を「探偵」の比喩として使っているのである。

そして「探偵」は「警察官」の比喩であるから、

けっきょく、「掏摸」は「警察官」のことを指していることになる。




私は、武藤貴也衆院議員が異常だと言いたいのではない。「日本精神(=大和魂)」や「警察精神(=警察[官]魂)」を鼓吹して、他人様を自分の思うままに動かそうとすること自体、「自分中心で利己的な」行為だということに気づくべきだと、言いたいだけである。 [犬党にして器械的+探偵主義]

2 0 1 5 年8 月1 9 日の『朝日新聞』のニュースサイトに「自民の武藤衆院議員がおわびのコメント 週刊誌報道受け」という記事があった。

「週刊文春によると、武藤氏は昨年、ソフトウェア会社の未公開株について「国会議員枠で買える」と持ち掛け、23人から計約4100万円を集めた。しかし、実際には株は購入されず、6人分の約700万円分が返済されていないという。」と書いてあった。

武藤氏というのは、7月末にツイッターで、安全保障関連法案に反対する学生のことを、自分中心で利己的な考えだと非難した自民党所属の武藤貴也衆院議員のことだ。

不祥事を起こした警察官同様、離党したので、元自民党衆議院議員ということなのだが・・・

嘘の理由で、他人様のお金を集めて、説明した目的以外に任意にお金を使う(所持するだけも含む)というのは、「自分中心で利己的な考え」などではない。

「自分中心で利己的な考え」ではなく、「自分中心で利己的な」行為だ。

さすが、犬党のヒトだ。

「日本精神!」が、考えなしに、「自分中心で利己的な」行為を生む呪文だということを、武藤貴也衆院議員が証明してくれたようである。

「日本精神!」と鼓吹していると、

知らぬ間に、

おまわりさん(警察官)とおなじようなことをやらかしてしまう。

戦前の日本は、「日本精神!」を鼓吹して、やらかしてしまったのだ。

戦前の日本を夢想する武藤貴也衆院議員が、やらかしてしまうというのは、当然のことである。

私は、武藤貴也衆院議員が異常だと言いたいのではない。

「日本精神(=大和魂)」や「警察精神(=警察[官]魂)」を鼓吹して、他人様を自分の思うままに動かそうとすること自体、「自分中心で利己的な」行為だということに気づくべきだと、言いたいだけである。




「日本精神!」を鼓吹する武藤貴也氏のために・・・、「『警察魂!』 警察魂(警察精神)はそれ病気の類か。初めてわかった漱石の『大和魂!』という文章の強烈さ。」を再掲します。

自民党の武藤貴也衆院議員が、「自身の公式ブログで、日本国憲法の三大原則である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が『滅私奉公という日本精神を破壊する』と主張し、中でも『主犯』は基本的人権の尊重だと強調している。 」(「【学生デモ批判】どこが『利己的』なのか」『高知新聞』2015年8月7日)らしい。

さすが犬党のヒトだ。

「日本精神」とは何か知っているのだろうか?

『松井茂自伝』や『警察協会雑誌』を読めば、警察精神(=警察[官]魂)=日本精神(=大和魂)、

国民皆警察化=警察精神作興運動=日本精神作興運動ということが分かるはずです。

日本精神(=大和魂)も、模倣の法則を応用した暗示に使うスローガンの一つにすぎません。

ま、犬党のヒトには、何言っても無駄か・・・

「日本精神!」と叫んで肺病やみのような咳をする不憫な武藤貴也氏のために

「『警察魂!』 警察魂(警察精神)はそれ病気の類か。初めてわかった漱石の『大和魂!』という文章の強烈さ。」を再掲します。

 漱石が『吾輩は猫である』(第六話)で書いている「大和魂!」(苦沙弥先生の手製の名文)という文章に倣って『警察魂!』という文章を書いてみた。


警察魂! と叫んで警察官が肺病やみのような咳をした

警察魂! と新聞屋が云う。警察魂! とニュースが云う。警察魂が一躍して電波に乗った。総理大臣が警察魂の演説をする。テレビや映画で警察魂の芝居をする。

警視総監が警察魂を持っている。こち亀の両津さんも警察魂を持っている。盗撮犯、痴漢、ストーカー殺人犯の警察官も警察魂を持っている。

三角なものが警察魂か、四角なものが警察魂か。警察魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている。

誰も口にせぬ警察官はないが、ダレも見たものはない。ダレも聞いた事はあるが、ダレも遇った者がない。警察魂はそれ病気の類か。


※『警察魂!』という文章を書いてみたが、なんだか恐ろしい内容になってしまった。「大和魂」を「警察魂」に変えてみて初めて、漱石の『大和魂!』という文章の強烈さが、わかった気がした。


※警察魂=警察精神。『松井茂自伝』や『警察協会雑誌』を読めば、警察精神(=警察[官]魂)=日本精神(=大和魂)、国民皆警察化=警察精神作興運動=日本精神作興運動ということが分かるはずです。日本精神(=大和魂)も、模倣の法則を応用した暗示に使うスローガンの一つにすぎません。


以下は、本ブログ「7.『大和魂はそれ天狗の類か』―『公徳』『警察精神』という暗示 [第五章 成就する漱石の未来予測]」http://nekotou-senngenn.blog.so-net.ne.jp/2014-05-03-6 の『吾輩は猫である』(第六話)の苦沙弥先生の手製の名文「大和魂!」を引用した箇所。

漱石は『吾輩は猫である』(第六話)に「大和魂!」(苦沙弥先生の手製の名文)という文章を書いている。

「大和魂! と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした」

「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする」

「東郷大将が大和魂を有っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐偽師、山師、人殺しも大和魂を有っている」

「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」

「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」

というものだ。

 この文中に「大和魂! と掏摸が云う。」とあるが、「掏摸」(スリ)とは警察官のことである。

漱石は『吾輩は猫である』で「探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族」「刑事巡査を神のごとく敬い、また今日は探偵をスリ泥棒に比し、まるで矛盾の変怪だ」と書き、

『草枕』でも「掏摸の親分たる探偵」と書いている。

漱石は「掏摸」という語を「探偵」の比喩として使っているのである。

そして「探偵」は「警察官」の比喩であるから、

けっきょく、「掏摸」は「警察官」のことを指していることになる。





『高知新聞』のニュースサイトに「小社会 『誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。…」という記事があった。 [犬党にして器械的+探偵主義]

2016年9月18日の『高知新聞』のニュースサイトに
小社会 「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。…
という記事があった。
誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐい)か」。夏目漱石の「吾輩は猫である」で主人公の先生が作った短文の一節だ。背景に日露戦争の世相がある。  漱石は日本人の関心が戦争一色に染まっていく様子を、皮肉を込めて描いた。「他に頼るもののない小国のよりどころとして、大和魂にすがろうとしていた」とき(阿部謹也「『世間』とは何か」)である。  この大和魂の神話は不幸にして第2次世界大戦でも繰り返された。為政者が精神論を振りかざし、民衆もそれに酔う。集団主義や同調圧力のなせる業だろう。
などと書いてあった。

この記事を書いたヒトは、『吾輩は猫である』を読まずに書いているようだ(阿部謹也「『世間』とは何か」の孫引きか?)。

『吾輩は猫である』を読んでいれば、

「大和魂」(=日本精神)以外にも、漱石が「国家主義」を批判するときに「巡査」「警察」「探偵」(=「掏摸」)などの語を使っていることも指摘できたはずである。

「探偵」=「巡査」「警察官」[警察」ということに気づけば、漱石全集を「探偵」という語を拾って読み返すだけでも、漱石が批判している「国家主義」が「探偵主義」(つまり「警察主義」)とでも呼ぶべきモノだということは、中学校を普通に卒業できるレベルの学力があれば、誰でも理解できるはずである。

あ、探偵化しちゃってるから、だれも気付かないのか・・・。







安倍犬党の拍手、気持ちが悪い。書くのも気持ちが悪い。 [犬党にして器械的+探偵主義]

安倍犬党の拍手、気持ちが悪い。書くのも気持ちが悪い。

「保管室で発砲音、警官が自分の拳銃の弾で重傷」?? 本当は「瀬戸署で警官が発砲 頭部貫通で重体」!!愛知県警瀬戸署発表「重症」瀬戸市消防本部発表「重体」ということか?? [犬党にして器械的+探偵主義]

2016年11月19日の『読売新聞』のニュースサイトに「保管室で発砲音、警官が自分の拳銃の弾で重傷」という記事があった。

19日午前8時55分頃、愛知県警瀬戸署(瀬戸市)1階にある拳銃の保管室で、同署交通課の男性巡査長(37)が、自分の拳銃の弾で頭部を負傷した。
のだそうだ。

同署の発表によると、巡査長は同市内の交通事故現場に行くため、同僚と2人で保管室で拳銃に弾を込めていた。同僚が保管室内のパソコンで拳銃の携帯手続きをしていたところ、発砲音がし、巡査長が倒れているのに気づいたという。


今回は、「発砲音」が聞こえたようだ。

「同僚と2人で保管室で拳銃に弾を込めていた」と、あるが、これは盗難防止ではなく、拳銃自殺防止策なのに、「同僚が保管室内のパソコンで拳銃の携帯手続きをしていた」というのは、奇怪な話である。

愛知県警は、焼身自殺しようとして灯油でずぶ濡れになった被保護者に、わざわざ、ライターとタバコを渡して、炎上させる(熱田警察署)ようなところだから、

投身自殺しそうな人を保護して、愛知県警本部やその他の警察署に連行して、わざわざ、屋上に連れて行ってあげたり、

拳銃自殺しそうな警察官がいたら、拳銃の貸与・返還手続きの際に、しばらく、目を離してあげたり、

平気でしそうだ。

徹底調査を・・・

するわけないか。

同日の『中日新聞』のニュースサイトの「瀬戸署で警官が発砲 頭部貫通で重体」という記事によると、
瀬戸市消防本部によると、弾は右側頭部から入って頭頂部の左側に貫通し、意識不明の重体。
なのだそうだ。

「保管室で発砲音、警官が自分の拳銃の弾で重傷」(『読売新聞』) は、本当は「瀬戸署で警官が発砲 頭部貫通で重体」(『中日新聞』)だったようだ。

愛知県警瀬戸署発表「重症」、瀬戸市消防本部発表「重体」ということのようだ。

愛知県警瀬戸署には、医師資格を持った警察官がいるのだろうか?

それとも、意識不明の同僚の容体について、

口から出まかせ(警察では危機管理広報と呼ぶらしいが・・・)を言ったのだろうか?

銃声が聞こえなかった、というよりは、少しはましかもしれないが・・・

やっぱり、
夏目漱石001.png


保管室では、拳銃と弾は別々に保管されている。弾を込める際は、銃口が他人に向かないよう壁などを向いて装着する決まりになっている。
というが・・・

「弾は右側頭部から入って頭頂部の左側に貫通」ということは、

暴発した弾が、壁などで跳ね返って、右側頭部に当ったのでなければ、

本人か第三者が右側頭部を狙って撃たないと、無理だろう。

設計時に、保管庫は跳弾防止の仕上げにするので、跳弾が当たる可能性は低いだろう。ま、警察の施設の設計担当は、わざわざ、勢いが死なないように跳弾するような仕上げにするかもしれないが・・・

普通に考えると、跳弾の線は、ないだろう。

保管室では、拳銃と弾は別々に保管されている。弾を込める際は、銃口が他人に向かないよう壁などを向いて装着する決まりになっている。
という前に

自殺予防のために二人でさせてますと言うべきだろう。

今年度は、まだ、貸与拳銃による自殺は2件目(自殺とすれば)なので、

統計を基に考えると、

来年四月までに、あと、3件ほど起こる可能性が高そうだ。

※警察教養は、漱石の親友中村是公の親友松井茂の親友の呉周三の弟子の森田正馬が1919年(大正8年)に始めた森田療法にそっくりらしい。ある精神科医は、その著書で企業研修(人格改造を伴わない初任研修を除く)が森田療法にそっくりだと指摘している。森田療法と同様の企業研修で精神疾患を発症する例があるらしい。警察官の不祥事や自殺は、その線で研究すべきだろう。ネット上に「『なぜ日本人は過労死するほど働くのか』 海外には異質に映る残業文化」http://www.mag2.com/p/news/215642 という記事があったが。何の不思議もない。科学的にも当然の結果である。日本人が死ぬまで働くのは、森田療法と同様の手法(警察教養・企業研修)で洗脳されている(探偵化されている)からだ。日本は、洗脳による奴隷制国家だ。漱石が批判した国家主義というのは、今現在の国家(※警察化は現在も進行中)のことだ。

※奴隷制国家というのは、未払い賃金が全額清算されることのない無賃労働が法律的に認められている国家という意味である。労働犯罪の容疑者たちに未払い賃金を全額清算させることのない労働審判や労働裁判は、奴隷の烙印を押す手続きである。被害者は訴えることで、法的に奴隷認定されることになっている。公共職業安定所はヒューマンショップで、裁判所は奴隷烙印押印所だ。





警察教養(学校教養と職場教養)は洗脳。企業内教育=警察教養。日本人は、洗脳された奴隷。 [犬党にして器械的+探偵主義]

精神科医の中村希明さんは、『怪談の科学―幽霊はなぜ現れる』という本の「洗脳と企業内教育」で、興味深い指摘をしている。

中村さんは、「洗脳と企業内教育」で、コーネル・メディカルセンターのヒンケルらによる朝鮮戦争で中国の捕虜になって、洗脳されて帰国した米国軍人の面接調査の事例を引用し、洗脳について説明した後、
 ヒンケルは、「洗脳」が起こる原因の中で一番大きいのは、仲間も信じられないという精神的孤立感であるとしている。容疑者が独房に閉じこめられ、夜昼となくかわるがわるに尋問されてくたくたになったころ、取調べ官のさしだす煙草などについほろりとなって自白する、という警察の古来の「おとし」方などは、洗脳と多分に類似性のみられるやり方である。
と、「洗脳」と警察の「おとし」との類似性を指摘している。

そして、「洗脳」について、
 またこの方式は、ブレーン・ストーミングとか感受性訓練(センシティビティ・トレーニング、略してS・T)などと呼ばれて、企業内の教育にもさかんに利用されている。
と、「洗脳」が企業内教育に利用されていると指摘している。

 ふだんは多忙な企業の中堅スタッフが、週末などを利用して郊外のホテルにかんづめにされる。そこで、まったく面識のない他企業のスタッフと顔をつきあわせて、生き甲斐《がい》だとか人間関係だとかの浮世離れしたテーマを与えられ、精神的に裸になって昼夜にわたり集中討議をさせられるのである。  こういう状況におかれると、人間の、日ごろ鎧《よろい》の下に隠している思いがけない側面、生地《きじ》が一挙にさらけ出され、それらがうまく統合・再構成された場合は、まるで人が変わったような充実感を味わい、リフレッシュされて、翌日からの企業戦線に復帰していくことができるのである。しかしS・Tは作用が強烈なので、逆効果になる場合もある。自我の統合力が弱く、その人なりの自我防衛のメカニズムによってかろうじて社会に適応していたような人が、集団のなかでその防衛を突き破られ、しかも、トレーナーの適宜な処置がとられなかった場合は、パニックにおちいって、S・T後の精神障害を起こす例が決して少なくないからである。
と、企業内教育(S・T)によって、「精神障害を起こす例が決して少なくない」と、指摘し、

「ある精神病院の会誌に、『S・T後遺症を克服して』という題の退院患者の感想文がのっていた。」と、実例を挙げて、その
内容は、S・T中に患者の病的な攻撃性が解放されて収拾《しゆうしゆう》がつかなくなり、トレーナーもコントロールできない躁《そう》状態となって、やむなくその精神病院に入院させられ、退院後も、まだ軽い躁状態が続いていることを思わせる文であった。この患者は病的に攻撃性の強い性格で、それが防衛されて、かろうじて社会に適応していたのである。この患者は、S・Tを受けなければ、発病することもなかったかもしれない。
と、紹介した後、
このように、自我の自律性の弱い人にはS・Tは有害なので、対象は慎重に選ぶ必要がある。  S・Tは、対象の選択、トレーナーの熟練度によって、毒にも薬にもなる両刃《もろは》の剣である。
と、企業内教育(S・T)の危険性を指摘している。

ただし、中村さんは企業内教育について、
この点、その内容が実務的なものに限られ、人間の深層心理に触れることのない新人研修などは、こういった危険性は少ない。このような特訓が効果を発揮する理由は、山のホテルなどに、一定期間世俗から隔離された状態で集中的な教育を受けることにある、とされている。
と述べている。

前段で、「その内容が実務的なものに限られ、人間の深層心理に触れることのない新人研修などは、こういった危険性は少ない。」と、「新人研修」を洗脳的な企業内教育の例外としていることから、

一般企業の新人研修と同じ時期にある警察学校での初任科教養も洗脳的でないような印象を持ってしまいがちだが、

後段で、洗脳的な企業内教育の特徴として、「このような特訓が効果を発揮する理由は、山のホテルなどに、一定期間世俗から隔離された状態で集中的な教育を受けることにある」としており、この特徴から、警察学校に隔離した状況で行われる警察官の初任科教養は、洗脳的な企業内教育といえる。

初任科教養だけでなく、

洗脳的な企業内教育の特徴を持つ、

警察学校(警察大学校・管区警察学校・警察学校など)で行われる、

警察学校教養は「洗脳」といえそうである。

さらに、

「『洗脳』が起こる原因の中で一番大きいのは、仲間も信じられないという精神的孤立感であるとしている。」ことから、

警察学校教養だけでなく、

警察の職場教養においても、

「洗脳」の手法が応用されていることは明らかである。

このことは、特定の人間にしか公開していないミクシーのブログで、兵庫県警での勤務内容について愚痴を述べた女性警察官が、同僚の密告により、退職に追い込まれた事例からも明らかだろう。

相互密告が奨励されている警察内で、警察官は常に疑心暗鬼の状態(「仲間も信じられないという精神的孤立感」を常に感じる状態)に置かれているのである。※いじめが起こる教育現場や職場のいじめなければいじめられるとかいじめを見て見ぬふりする時の心理状態もこれなのではないだろうか?そうだとすると・・・。

この状態が、警察教養(学校教養と職場教養)の前提条件なのである。

中村さんは、
考えてみると、日本の代表的な精神療法の一つである「森田療法」も、神経症患者が一ヵ月間個室に入院し、もっぱら内省を続けさせられるという、一種の「洗脳」療法といえるであろう。
と、指摘している。

このことから、警察教養は「森田療法」を応用した「洗脳」手法ではないかとの疑いが起こるのである。

森田療法を考案した森田正馬は、呉周三の弟子で、呉周三は松井茂の親友なのである。

呉周三や松井茂らが、警察官や国民を洗脳する方法を考え出し、その手法を医療に応用したのが森田療法と考えた方が自然かもしれない。

国民皆警察を目指した松井茂の社会教化運動は、「同情(共感)」による国民「洗脳」の試みとも言えなくはない。

森田療法と同様の手法で警察官を洗脳し、その警察官を摸倣中心にして、国民を洗脳する。

この時重要なのが、国民が警察(官)に同情(共感)することなのである。

漱石の道義的同情(同情〔共苦・同苦〕)は、

そんな「洗脳」をすることに喜々としているヒトたちに、

「それをやっちゃ、人としてダメだろ」と、

素朴にダメ出しできる、人間の心の中にある何か、のような気がする。

※日本特有のテロ的犯罪、「秋葉原通り魔事件」(2008年、雇用形態への不満〔後に否定された〕)、「マツダ本社工場連続殺傷事件」(2010年、動機:マツダ従業員による嫌がらせ〔妄想?〕)、「川崎老人ホーム連続殺人事件」(2014年、動機:介護のストレス)、「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年、動機:安倍自民党思想の具現化)などの犯人が受けた企業内教育を検証すれば、狂気の原因が、何か明らかになるのではないだろうか?

※それは、言い過ぎかもしれないが、警察職員(警察官と一般職員)による理解しがたい不祥事の原因が森田療法そっくりの警察教養にある可能性は極めて高そうだ。警察施設内で同僚が拳銃自殺した際に、警察職員が銃声が聞こえなかったと証言する怪談も、「洗脳」による広義の感覚遮断性幻覚による幻覚と考えれば、科学的にも説明が付くはずである。

※2017年1月25日の『産経新聞』のニュースサイトに「“不良”巡査長を分限免職 適格性理由では初めて 大阪府警 人事評価2年連続で最低」という記事があったが、この巡査長は、警察教養(学校教養と職場教養)によって精神疾患を発症している可能性が高いのではないだろうか。労災に当たるのではないだろうか?パワハラ絡みの過剰反応(つまり警察にも悪い所があったと認めている)だから、懲戒免職(退職金なし)でなく分限免職(退職金あり)なのだろうか?依願退職するようにいっても聞かない人は分限免職にするらしいが、分限免職させられると・・・、次の仕事が見つからないらしい。分限免職された人は自殺する人が多いという噂だ。それで、分限免職されるくらいなら依願退職する。どうにも納得いかないなら、結局自殺することになるなら現職で、というのが、教養のある警察職員(警察官と一般職員)の判断だという噂だ。

どうでもいいことかもしれないが、「交番勤務時の巡回連絡を「意味がない」などと言って拒否」(『産経新聞』)、「『意味がない』と交番でのパトロールに行かなかった」(『朝日新聞』)、「交番勤務でパトロールなど『意味がない』と拒否」(『毎日新聞』)と表現が異なっていた。「巡回連絡」(各戸を戸別訪問し左翼活動家などがいないか調べる)と「パトロール」(警邏)は意味が違うように思うのだが・・・。

※今回の巡査長は、ちょっと仕事をさぼって、上司に暴言を吐いただけで、分限免職なのだそうだ。ちょっと仕事をさぼってる警察官なんか、五万と(文字通り)いるだろうし、上司に暴言を吐く警察官も多い(警察に親戚多数のヒトの態度が悪いらしい)はずだ。そんな、珍しくもないよくいる警官を分限免職にするくらいなら、一般市民を「土人」とか「シナ人」と罵った警官を分限免職にすべきだろう。あ、大阪府警には一般市民を「土人」とか「シナ人」と罵るニンゲンが警官に相応しいということか・・・。



籠池泰典理事長の「森友学園」の教育理念に共感した安倍ちゃんたちは、「国体のカルト」に指定し、破防法とかで取り締まるべきではないだろうか? [犬党にして器械的+探偵主義]

籠池泰典理事長の「森友学園」の教育理念に共感した

安倍ちゃん、

アッキー(なんとアホ丸出しの愛称だろう)、

稲田さん(弁護士が平気で嘘をつくことを証明、道義国家には道義的同情がないことも証明している)、

麻生さん(『こち亀』を愛読しているそうだから、こんなもん〔道義心は警官レベル?〕だろう)、

鴻池さん(K市のブラック企業〔医療系専門学校理事長〕との関係〔補助金のコンサル?〕ありとの噂)

などのヒトビトは、「国体のカルト」(日本国憲法を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体:教養〔洗脳〕を暴力と解釈)に指定し、破防法とかで取り締まるべきではないだろうか?

テロ等防止法を作ったりしたら、摘発の第一号になるんじゃないだろうか?

あ、日本は犬党員ばかりだから、安倍ちゃんたちは、安泰か。

それに、摘発するはずの日本警察が、「国体のカルト」の代表的組織だった。

以下は、
「日本警察カルト。ウッダートによれば「国体のカルト」とは、『国民道徳と愛国主義のカルト』」の再掲。


以下の文章は、突然閉鎖された「博士の愛した株式」というブログに掲載されていた記事である。

2006-08-28 01:16 nice!(0) コメント(0) トラックバック(1)
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日本警察カルト [警察の戦争責任(警察はカルト)]

GHQ宗教課の調査スタッフであったウィリアム・P・ウッダートの『天皇と神道』(安部美哉 訳サイマル出版会、1988年、6-10頁参照)によれば、戦前の日本は「国体のカルト」だったそうである。

「『国体のカルト』は、日本の天皇と国家を中心とした超国家主義および軍国主義のカルトを指す私(ウッダート)の造語である。」

ウッダートによれば、
「連合国軍の指導者たちは、右翼過激派が国民を洗脳し、天皇を制御する権力を獲得し、法律を支配し、教育を統制し、宗教を管理し、日本国を全面的崩壊の淵 に追いやったのは、現津神たる天皇、神国、神の地などの概念を中心に作られた国家神道のカルトによったと考えたのである。」

そして、「『神道指令』の第一節において、宗教課長ウィリアム・K・バンス博士は、このカルトを『神道ノ教理並ニ信仰ヲ歪曲シテ日本国民ヲ欺キ侵略戦争へ 誘導スルタメニ意図サレタ軍国主義的並ニ過激ナル国家主義的宣伝ニ利用』したものと呼んでいる。連合軍は、平和主義的で民主主義的な日本を作るためには、 他の手段とあわせて神道を国家から分離することが必要だと考えていた。」

つまり、「平和主義的で民主主義的な日本を作るためには、他の手段とあわせて神道を国家から分離することが必要だと考えていた。」 のであり、日本警察の特高追放や内務省の解体、国家警察から自治体警察への移行は、「平和主義的で民主主義的な日本を作るため」の一連の政策であったので ある。

ウッダートは、
「『国体のカルト』は、神道の一形式ではなかった。それははっきりと区別される独立の現象であった。それは、神道の神話と思想の諸要素をふくみ、神道の施 設と行事を利用したが、このことによって国体のカルトも神道の一種であったのだとはいえない。そうだったら、連合国軍最高司令官は、神道を全面的に廃絶し なければならなかったはずである。」 と、国体のカルト(cult)と神道とを区別している。

ウッダートによれば「国体のカルト」とは、「国民道徳と愛国主義のカルト」であった。

「国体のカルトは、政府によって強制された教説(教義)、儀礼および行事のシステムであった。天皇と国家とは一つの不可分な有機的・形而上学的存在であり、天皇は伝統的 な宗教的概念が過激派によって宗教的、政治的絶対者の地位に転用された、すこぶる特異な意味での『神聖な存在』であるという考えかたが、その中心思想に なっていた。それは国民道徳と愛国主義のカルトであって、『民族的優越感を基盤として、新しく調合された民族主義の宗教』であった。国家が神国だっただけ でなく、日本の国土が神の国だとみなされていた。」

ウッダートの「天皇は伝統的な宗教的概念が過激派によって宗教的、政治的絶対者の地位に転用された」との指摘から、国体のカルトが宗教というよりは、天皇制を利用した国民を扇動するためのプロパガンダの体系であったことがわかる。

それは、あの戦前の代表的警察官僚であり貴族院議員でもあった松井茂法学博士のタルドの模倣の法則の応用と、暗示を駆使した宣伝による警察精神作興運動と同様のプロパガンダの体系である。

「国民道徳と愛国主義のカルト」において、本当の問題は、天皇制の有無ではなく、プロパガンダによって、国民を扇動する手法が問題だったのである。

ウッダートは、このような国体のカルトの問題点を二つあげている。
「ニッポンの 政治学者や思想家は、ニッポンの『国体』にさまざまな解釈を与えた。しかしわれわれの関心は(1)一九三〇年代および一九四〇年代初期に極端な超国家主義 者と軍国主義者が『国体』について行った解釈、(2)警察国家の権力によって日本国民にカルトとして強制された『国体』の教義および実践活動、に限られ る。」

このウッダートが指摘した二つの問題点のうち、「(1)一九三〇年代および一九四〇年代初期に極端な超国家主義者と軍国主義者が『国体』について行った解釈」については、現在よくマスコミで取り上げられる。

しかし、「(2)警察国家の権力によって日本国民にカルトとして強制された『国体』の教義および実践活動、に限られる。」 について語られることはない。

国体の教義を布教(プロパガンダ)したのは、あの優秀な日本警察なのであった。ウッダートの指摘が正しいとすれば、日本警察はカルトなのである。

そして、この日本警察が、戦後復活したといわれている。

中国、韓国も自国の警察が日本警察の模倣でないという自信があれば、この点を最も問題視すべきではないだろうか。なぜなら、優秀な日本警察がその気になりさえすれば、戦前と同様の手法で戦争のための兵員供給が何時でも可能な状況なのである。

阪神淡路大震災当時の警察庁長官國松氏は、警察における武士道のカルト性を示唆する指摘をしている。
「警察官だけが世間から遊離してカルト集団みたいな独特の価値観だけで動くようになっては困りますが、やはりモラルの基本にあるサムライ精神は古いといわれようとも持ち続けるべきです。」 (佐々淳行『日本の警察―「安全神話」は終わったか』PHP研究所、1999年、188頁)と。

この國松氏の警察における武士道のカルト性を示唆する指摘は、日本近現代史の重大発見である。


ところで、警察カルトを支える警察武士道に対する、素朴な疑問であるが、

裏金等、組織的な不祥事(犯罪)が発覚しそうになったときに自殺する警察幹部が、時折、マスコミで取り上げられることがあるが、警察の不正を恥じ、国民に詫びるために、切腹した警察官がいたなどと、一度も聞いた事がないのはなぜだろうか。

もし、そのような事例(道徳的な心情から発するやむにやまれぬ行為としての国民に対するお詫びとしての自殺)があれば、(道徳的な心情から発するやむにや まれぬ行為としての国民に対するお詫びとしての自殺か、口封じを強制する心理的圧力の体系による自殺の強要か)どちらが、真の警察武士道による行為か、現職警察官(職員)に対して、アンケート調査等することで警察武士道に関する実証研究ができそうである。面白そうなのだが・・・、

残念なことに警察武士道は、一つ(口封じを強制する心理的圧力の体系により自殺を強要する何か)だけのようである。

警察官は、自爆装置のついたロボットのようだ。

(「国民皆警察」http://blog.so-net.ne.jp/dr-nobody/2006-08-17もご参照ください)


「自主避難は『本人の責任』 復興相」!! 犬党のヒトが言う「客観的に言う」とは、「他人事として言う」という意味のようだ。 [犬党にして器械的+探偵主義]

2017年4月4日の『朝日新聞』のニュースサイトに「自主避難は『本人の責任』 復興相、記者に『うるさい』」という記事があった。
今村雅弘復興相は4日午前の閣議後会見で、東京電力福島第一原発事故で今も帰れない自主避難者について「本人の責任でしょう。(不服なら)裁判でも何でもやればいいじゃないか」と発言した。
のだそうだ。

なんと、心無い言葉だろう。

さすが、犬党員だ。

記者には謝罪したそうだが、自主避難者に関するコメントは撤回せずに
自主避難者への発言は「私は客観的に言ったつもりだ」
といったそうだ。

どうやら、

犬党のヒトが言う「客観的に言う」とは、「他人事として言う」という意味のようだ。

客観的に言うと、原発の再稼働は必要だ。

客観的に言うと、自衛隊の海外派遣は必要だ。

犬党のヒトの主張は、

「客観的に言う(=他人事として言う)」

「客観的に考える(=他人事と考える)」

などと言う言葉を補うと、理解しやすいようだ。

他者の苦しみを自分の苦しみと感じることができない(道義的同情を欠いている)のが、

犬党員の特徴だから、当然か。

安倍ちゃんなんか、森友学園と自分や妻が関係あったら、総理大臣も衆議院議員も辞めると言ったが・・・

あれも、安倍ちゃんにとっては、客観的に言っただけのことなのだろう。

安倍ちゃんは、つい、

自分のことを客観的に言っちゃった(=他人事と思って言っちゃった)だけに違いない。

他人事と心底思っての発言だから、安倍ちゃんにとっては責任逃れじゃないのだろう。

自己愛性人格障害のヒトが自分が悪いことをしておいて平気で他人のせいにするのは、自分の言動さえも他人事と思える心を持っているからなのだろうか?

安倍ちゃんも、相模原障害者施設殺傷事件の犯人も、同じ病・・・

ああ、相模原障害者施設殺傷事件の犯人は安倍自民党の政治思想の影響じゃなく、

安倍ちゃんたちの病気が・・・

恐ろしい。









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